わたし、って。~摂食障害に助けられて

初めてブログを書いてみることにしました。わたしって、どんな人間なのか記録を残して今の幸せを改めて感じられればいいな、と思います。

まさかの摂食障害。④

母に助けを求めた、と言うと
夫は『完全に治してこいよ』と。

次の日から実家に戻り、
恐怖の日々でした。
ちなみに、
わたしの母には病院で治療する、という
選択肢は全くありませんでした。
薬💊づけにされると良くないし、
わたしを信じてるから、と。

始めの数週間は朝に納豆を少しだけ、
昼は辛いスープや、おかずを数口、
夜はまだ食べなくていいことに。
檻の外に出て、
いつもと違う食べ物を食べる、という事だけで
心臓がバクバクいって
本当にどこかすごく高い所から
飛び降りる気分でした。
夜には後悔し、泣くことも。
これも毎日できたわけではありませんでしたが、
徐々に数口でも
同じもの以外を食べれるようになりました。

しばらくして母と
気分転換に結婚式で着るお色直し用のドレスを
見に行ってみよう、と誘われ
でかけました。
確かに久しぶりに綺麗なドレスをみたりして
楽しかったのですが、
試着してもブカブカすぎて似合いもしないし
母からは試着室から出るな、と💧
店員さんには
『体調崩して痩せちゃったから、
体調戻ったら結婚式あげるんです』と
母が説明すると、
店員さんは不治の病とでも思ったように深刻に
『早くすぐ着れるようになるといいですね』と😢
忘れられない思い出です🙀笑
実はここで着たドレス、後から買ったんです❗
約1年後、サイズはピッタリで着れました。

2ヵ月ほどすると
毎日毎日食べる事ばかり人に言われ
気にする日々から逃げたくなり、
数年前まで母や唯一の親友とよく行っていた
韓国に行きたくなりました。
日常会話程度は話せたし、
向こうに知り合いもいたので
『大丈夫だから!
絶対に1日3食食べると約束します』と説得。
父は大反対でしたが母は
行って頑張ってみろ、と。
ここでもわたしを信じてるから、と。
わたしは説得してすぐ怖くなり後悔したのですが
後にも引けなくなりました。。

実は夫にはこの時に
二度めの別れ話をしていました。
少し脳も動くようになったのか、
ずっと仕事は遅く一人にし
会話もあまりないうえに、
わたしがここまで酷くなる前に
実家に助けを先に求めて欲しかったのと
やはりわたしが今はこんな状態だから
それどころではなかったと思うけど、
からしたキス以外はスキンシップが
全く無かった事が気になり、
好きなのかわからない、と。

とりあえず韓国から戻ってきて決断しよう、
という話になりました。
ここまで言われても夫は
別れたくなかったみたいです。

母がよく言った
『⚪⚪(わたし)を信じてるから』
今言われれば違う捉え方ができますが、
この時はまともな考えもできず、
わたしがわたしを全く信用できないのに
言われるととても寂しかったです。
その言葉に逃げてるだけなんじゃないか、
という気がして。
たぶん、弟が病気ならもっと積極的に
調べて係わって必死になったんだろうな、と。

この病気になりわたしが気づいた事は
この時はまともな考えができなかったから
仕方がない部分があるにしても、
夫にも
酷くなる前に実家に助けを求めてほしかった、
と思ったり
自分の努力の足りなさは棚にあげ
人のせいにするクセがあるんだな、と気づきました。

今までの記事でも
母の言いなりに生きてきたように書きましたが
母は絶対に強制はしませんでした。
わたしの意志がハッキリし、伝えれば
反対はしない人なんです。
まー、
考える前に(過保護のカホコの母みたいな💧)
『そう思わない?』
『ママは違うと思うな(だから違うよね?)』
的な感じではありましたが😰
どこかで強くなれれば良かったのに、
なれなかった自分は棚にあげ
人生の失敗を全部人のせいにしていたな、と。

今でもたまにこういう考えが浮かびますが、
‘’自分の行動の責任は自分、だよね‘’
と自分に突っ込みをいれるようにしてます🙇
人を恨んだり憎んだりするより、
こう突っ込める方が本当に気が楽になります。

わたしがこれから生きていくうえで
摂食障害から脱獄し学んで
助けられた事は多々ありますが、
この教訓は大きかったです。