わたし、って。~摂食障害に助けられて

初めてブログを書いてみることにしました。わたしって、どんな人間なのか記録を残して今の幸せを改めて感じられればいいな、と思います。

摂食障害という檻からの脱獄。②

始めの1週間は本当にどうなるかと思った
1人旅行も何とか2週間を無事に終え、
帰国してきました。

最終日に夜中にあちこち歩き回り、
パンやお菓子など買い漁った事は
この時は『こんな日があってもいいのさ⤴️』
くらいに思い、
そう思えた自分が嬉しく、ご機嫌で帰国。
今思うと、そう思うには
食べ過ぎだったし、
夜中に買い漁る姿は明らかにおかしかったです💧

1人旅に少し余裕ができはじめてから
考えていた事は一つ。。
夫とやり直すか、このまま別れるか。
正直に言うと、別れてしまいたかったんです。
このまま戻ったところで、
今まで悩んでいた夫との問題がなくなるわけでは
ないので。
でも、母にはまさか同棲までしてたのに
したことがないなんて…言えないです。
なので、優しい夫を逃せば結婚は難しいのでは、
とやり直した方がいいと軽く説得されていました。

帰国し、真っ先に夫のところに向かい
正直に話しました。
『一緒にいても、一回もしなかったよね?
このままずっと続くの?』と。
わたし、
もともと下ネタ的な話がすごく苦手なんです😥
大事な事なんですけどね。

夫はこの時
『(わたしが)それどころじゃなかったし、
これからはそんなことないよ』と。
わたしはまだ親のために早く結婚しなきゃ、
と思っていたし、
夫はとても優しいんです。
まだ結婚もしてないのに同棲中は
養ってくれていたし、
このままゆっくりしてていいよ、と言ってくれて。
今思えば、優しいというか…
わたしが酷い状態の時も放置してたし、
この後またわたしを悩ますのに
嘘をついてやり直したのは
一人になるのが嫌だっただけなんだろうな、と。

でもこの時はこの言葉を信じ、
やり直す事になりました。
やり直す=結婚、にまっしぐら💨でした💧

すぐには夫とも無理だろう、と思っていたし、
外でデートなどしても
前よりも普通に食べれるようになったので
また一緒にお酒を飲んで食べて…
始めは楽しかったんです。

職場の同僚以外はほとんど友達もいない
わたしたちは、
結婚式を日本でやると
会社の人も呼ばなくてはダメだし
親戚も呼びたくない人ばかりだったので、
グアムで家族とわたしの弟夫婦だけ呼んで
挙げることにしました。

そして、ここまで決まった時点でまた
同棲を始めることに。
治しに実家に戻ってから10ヵ月ほど経ち、
たまに食べ過ぎて過食になる事もあったせいで
体重も少し細いくらいにまで戻り、
一見治ったように見えたんです。

ここから
拒食症からの復帰→過食嘔吐への地獄に
落ちていきました。

摂食障害という檻からの脱獄。①

自分から逃げたくて言い出した
韓国旅行…
しかも、
結婚したらもう二度と長期は無理だから、
と一人で2週間も。
行く日に空港までのリムジンバス乗り場まで
送ってくれた母に
『止めようかな。。』と言うくらい
本当に怖かったです。
母は『行っておいで』。
この母の決断は
いま結果的にわたしが良くなったので
何とも言えませんが、
わたしは仮に娘が同じ立場になったら
言える自信はないし、
経験したわたしからみると言えません。
すごいな、と思います。

前置きが長くなりましたが。。
とりあえず、
この時は太る、痩せる、という事よりも
‘必ず3食食べる’という言葉に
縛られていました。

しかし
食べる時間になったから何が食べたい、
お腹が減った、
という感覚は全くないので、
食べるものを選ぶ事ができず
これが恐怖なんです。
なので、事前に昔行ったお店や
食べたかったお店など調べておいて、
2週間分いつ何をどこで食べるか
計画してありました。

全て計画通りにいくわけもなく…
行く予定だった店が潰れていた時には
本当に何を食べて良いのか分からずに
2時間街をさ迷い、
前の日に食べたお店で食べて
泊まっていたゲストハウスで泣きました。

朝も昼も夜も
ごはんを食べるために
起きて、歩いて、電車に乗って、寝て。

空腹感も満腹感も全くないんです。
だいたい食べる時間、
だいたい食べる量はこれくらい、
でも食べたからまだ恐怖もあり
一日中歩き回ります。

1週間経つ前にクタクタになり、
泣きながら母に電話して
『どうしても今日は夕飯を食べたくない』と
泣きついた事もありました。
今思うと、
母もとてもツラかったんだろうな、と思います。

この旅行では向こうの知り合いに
本当に本当に助けられました。
友達に紹介されたゲストハウスでは
わたしが細すぎて心配だったらしく
仕事終わりに必ず夕飯に誘ってくれたり、
わたしがすることが決まっていないと言うと
これから実家に帰るから
一緒にご飯食べに行こう⤴️と
連れていってくれたり。
後半はほとんど、
この方たちにお世話になりました。

後半で泊まったゲストハウスは
夜はバーもやっていた為、
夕飯を食べた後に
ゲストハウスに泊まりに来た人達と
お酒を飲みながら
またおつまみを食べたり。
本当に本当に久しぶりに
何も考えずに楽しく食べれたのは
この時が最初だったと思います。

しかし!
そんな簡単に治せる病気では
ありませんでした。。
この旅行の最終日には
あちこちで買い漁ったパンやケーキやお菓子を
夜中に食べまくっていました。

まさかの摂食障害。④

母に助けを求めた、と言うと
夫は『完全に治してこいよ』と。

次の日から実家に戻り、
恐怖の日々でした。
ちなみに、
わたしの母には病院で治療する、という
選択肢は全くありませんでした。
薬💊づけにされると良くないし、
わたしを信じてるから、と。

始めの数週間は朝に納豆を少しだけ、
昼は辛いスープや、おかずを数口、
夜はまだ食べなくていいことに。
檻の外に出て、
いつもと違う食べ物を食べる、という事だけで
心臓がバクバクいって
本当にどこかすごく高い所から
飛び降りる気分でした。
夜には後悔し、泣くことも。
これも毎日できたわけではありませんでしたが、
徐々に数口でも
同じもの以外を食べれるようになりました。

しばらくして母と
気分転換に結婚式で着るお色直し用のドレスを
見に行ってみよう、と誘われ
でかけました。
確かに久しぶりに綺麗なドレスをみたりして
楽しかったのですが、
試着してもブカブカすぎて似合いもしないし
母からは試着室から出るな、と💧
店員さんには
『体調崩して痩せちゃったから、
体調戻ったら結婚式あげるんです』と
母が説明すると、
店員さんは不治の病とでも思ったように深刻に
『早くすぐ着れるようになるといいですね』と😢
忘れられない思い出です🙀笑
実はここで着たドレス、後から買ったんです❗
約1年後、サイズはピッタリで着れました。

2ヵ月ほどすると
毎日毎日食べる事ばかり人に言われ
気にする日々から逃げたくなり、
数年前まで母や唯一の親友とよく行っていた
韓国に行きたくなりました。
日常会話程度は話せたし、
向こうに知り合いもいたので
『大丈夫だから!
絶対に1日3食食べると約束します』と説得。
父は大反対でしたが母は
行って頑張ってみろ、と。
ここでもわたしを信じてるから、と。
わたしは説得してすぐ怖くなり後悔したのですが
後にも引けなくなりました。。

実は夫にはこの時に
二度めの別れ話をしていました。
少し脳も動くようになったのか、
ずっと仕事は遅く一人にし
会話もあまりないうえに、
わたしがここまで酷くなる前に
実家に助けを先に求めて欲しかったのと
やはりわたしが今はこんな状態だから
それどころではなかったと思うけど、
からしたキス以外はスキンシップが
全く無かった事が気になり、
好きなのかわからない、と。

とりあえず韓国から戻ってきて決断しよう、
という話になりました。
ここまで言われても夫は
別れたくなかったみたいです。

母がよく言った
『⚪⚪(わたし)を信じてるから』
今言われれば違う捉え方ができますが、
この時はまともな考えもできず、
わたしがわたしを全く信用できないのに
言われるととても寂しかったです。
その言葉に逃げてるだけなんじゃないか、
という気がして。
たぶん、弟が病気ならもっと積極的に
調べて係わって必死になったんだろうな、と。

この病気になりわたしが気づいた事は
この時はまともな考えができなかったから
仕方がない部分があるにしても、
夫にも
酷くなる前に実家に助けを求めてほしかった、
と思ったり
自分の努力の足りなさは棚にあげ
人のせいにするクセがあるんだな、と気づきました。

今までの記事でも
母の言いなりに生きてきたように書きましたが
母は絶対に強制はしませんでした。
わたしの意志がハッキリし、伝えれば
反対はしない人なんです。
まー、
考える前に(過保護のカホコの母みたいな💧)
『そう思わない?』
『ママは違うと思うな(だから違うよね?)』
的な感じではありましたが😰
どこかで強くなれれば良かったのに、
なれなかった自分は棚にあげ
人生の失敗を全部人のせいにしていたな、と。

今でもたまにこういう考えが浮かびますが、
‘’自分の行動の責任は自分、だよね‘’
と自分に突っ込みをいれるようにしてます🙇
人を恨んだり憎んだりするより、
こう突っ込める方が本当に気が楽になります。

わたしがこれから生きていくうえで
摂食障害から脱獄し学んで
助けられた事は多々ありますが、
この教訓は大きかったです。

初めての子育て。

昨日から体調を崩していたわたし、、
今日も1日グダグダとしてしまいました。
そんなわたしをみて
来月2歳になる娘が
『だいじょーぶ?』と聞いてくれます。
頭が痛くて
『ママ、ここが痛いんだよ』と言うと
頭をなでなでしてくれます。

本当に頑張ってここまできて
そこまで好きだと感じることもなかった
子どもを産んで良かったな😫と感じます。

が!
急に態度が激変し
顔を叩いたり狂暴になるときがあるんです。
そんな時は
『叩いたらダメでしょ?
イタイ、イタイなんだよ?
ごめんなさい、は?』と
謝らせるようにしているんです。
しかし、
絶対にすぐには謝りません。。
寝転がりニヤニヤ笑いながら
『めっ❗』と言って負けません。
なかなか謝らないので
『じゃ、もう知らないよ』、と
一階に置いたまま二階に上がり、
1.2分放置し
泣き声がするので降りてみると
泣いたふりだけで笑っていました。
結局ここで戦っている間に
うちのわんこ🐶がオシッコをし、
ご褒美の(5歳なのに未だに💧)おやつを
娘があげたい❗と言うので、
『じゃあ、ちゃんとさっき
イタイ、イタイしたの謝って?』というと
『~~めんしゃい』と💧

これでいいのか??💦
そのあと叩いた所も
なでなでしてはくれましたが。。

子どものしつけって正解はないし、
果たして自分のやり方は
良いのか悪いのか🌀とすごく悩みます。
でも、この時期の子どもって
すごく言葉を真似して言うオウムみたいな💧
感じなので、
『ありがとうございます』『ごめんなさい』
は言える子になってほしいな、と思うんです🐥

ものすごい幸せを感じたと思ったら
一気に悩みの種を振り撒かれ🌱
子育てって、すごいですね!

まさかの摂食障害。③

別れを切り出して
初めて強く引き留めてくれたのと
自分の悩みを打ち明けられた事で
もう一度付き合う事になりました。

しかし、
この選択が良かったのか。。

この辺りの記憶が実は曖昧なんです。
気づいたら同棲していて、
気づいたら同棲の許可をわたしの両親にもらい
同棲=結婚、という考えの両親の為に
結婚の話をし始め…
と全てわたしが夫に話し、
夫は言われるがままに行動し、
という感じだったと思います。

後から考えると、
わたしは逃げるように実家を出たな、と。
当時の同棲先は実家からも近かったので
帰りの遅い夫の所に
わざわざ行かなくても良かったのに。
おそらく、
この時期に弟の結婚が決まり
母はそっちにかかりっきりで、
わたしも寂しかったのと焦りがあったのかも
しれません。

ここからはどんどんと急激に悪化しました。
同棲を始めてから
わたしが貧血などめまいもあった為
またいつでも戻ってきてくれていいから
一度仕事を止めてゆっくりしてみれば、
と言われ仕事を止めて
毎日夫を待つだけの日々に…
母や義理の妹にランチなどに誘われても
その時はほとんど食べなかったのと
食べれる物が少ししかなかったので
断っていました。

夫に打ち明けてからは
過食嘔吐は止めようと頑張っていたのですが
その代わり拒食症の方になっていたんです。

わたしが急激に悪化した原因のもうひとつ。
夫とは一度もしたことがなかったんです。
同棲してから一度聞いたことがあったのですが
昔付き合った彼女が
生理中でそれがトラウマに…と。
それからは聞くこともできず、
毎晩ただ一緒に寝るだけでした。

毎日毎日、
朝はパンを食べたふりをし
夫が出勤すれば捨てて、
昼はおからに塩を入れて食べ、
夜は魚を少しつまむ程度でした。

両親にも日に日に痩せていくので
心配はされたのですが
弟の結婚式も目前で忙しく、
わたしがどんなに痩せても
冬で厚着し、体は見えないし
顔にエラが張っていてぽっちゃりだったので
実際よりは危なく見えなかったみたいです💧

わたしは身長が高めで168㎝あり、
この時の最低体重は33㎏でした。
でも、なぜかとてもアクティブだったんです💧
太らないように毎日何時間も歩き、
睡眠も3時間とかでした。
夜中に起きてマフラーを編んだり。
その時のマフラーは
夫には‘’憎悪のこもったマフラー‘’と言われてます🌀
ただ、骨は痛かったし
おしりの尾てい骨辺りは床擦れしてました。
あの時は、こんなことも
細くなれた勲章、みたいに思うんですよね。
心配されればされるほど太れなくなるんです。

わたしが助けを求めたのは
体のツラさじゃありませんでした。
何とか檻から出たかったんです。

毎日朝、夫が出勤して
同じ所に同じ物を買いに行き、
同じ物を少ーしずつ2時間かけ食べて
やっと夜になり
夫とは会話もほとんどなく
先に寝、
夜中にマフラーを編む。
この決まった行動以外出来なくなってしまい、
本当に檻の中にいるみたいな気分でした。
ちなみに、
夫の休みの日は本当に苦痛で
スープや魚を少しつまむくらいでした。

ある時母が
『いつでも戻ってきていいんだよ』
と言ってくれ、
泣きながら
『明日迎えにきてほしい』と助けを求めました。

ストレス??💦

昨日は母がずっと面倒をみていた
祖父母の一周忌でした。
亡くなるまで
‘言うこと聞いてもらわないと
ダメになる100人に一人の病気’の次男の嫁と
財産目当てで出ていったくせに離婚しない
長男の嫁は
10年以上顔も見せなかったのに
申し訳なさそうにすることもなく
当然のように出席するというので
本当は行きたくなかったのですが、
学生時代にとてもお世話になった従姉妹が
神戸から来てくれ、
娘が見たいというので仕方なく行ってきました。

しかし。。
数年ぶりに朝から
めまいと吐き気に襲われギリギリまで横になり
吐いてしまうと少し楽になったので
何とか両親と共に電車で向かいました。

ただでさえ会いたくない人達に囲まれて
何とか愛想をふりまいて
みんなで食べた昼食は一口も食べれず…
肝心の従姉妹に娘は見せれたけど
歩き回る子どもを理由に
何度もトイレに休憩しに行ったり💧
行かなければ良かった😩

従姉妹は医者なのですが
たぶん胃腸炎かね、と言われて
最近、
🏠を見に来る、と言われて
バタバタ一人で片付け、
売れなかったらどうしよう。。
と一人で悩み😞🌀
娘は鼻水が常に垂れているのと
卵アレルギーの治療の為
病院通いが続き…

腸炎にしてはそこまで酷くなかったので
ストレス性かな⁉️と💧
なのに更にストレスを持って帰ってきて
昨日の夜は子どもを寝かせてから
私も死んだように寝てしまいました😵

最後に吐いた時は
臨月で食中毒になった時なのですが💧
その時は昔の記憶が甦り
吐けば痩せる…と少ーしだけ頭を過ったのですが
昨日は全くなく、
吐いて楽にはなったのですが
食べなきゃ体力持たないよ😰とだけ
思いました。
もう完全に昔の檻の中に戻る気は
なかったですが、
昨日そう感じて
本当に自分を信じることができました🐒

家、売れますように。。

5年前に結婚し、
3年半前に今の戸建ての🏠を買いました。
その時は
わたしの生理もやっと
定期的にくるようになったとはいえ、
次の記事に書く予定ですが
夫にも問題があった為、
子どもは諦めていました。

その為、家はすごく気に入ったのですが、
建築条件のあまり良くない土地の🏠を
かなり安く買ってしまったのです。。

その後1年程でまさかの妊娠🚼
しばらくは
実家にも車で15分程で安心だったし、
何も考えずに生活していたのですが…

実家に弟夫婦が同居していて
わたしの娘の7ヵ月上の甥っ子がいる為
どうしても同居している孫との
差が気になってしまうようになりました。
もともと、
父も母もわたしより弟に甘かったように
男の子にとても甘いんです。
これは母に言っても全力で否定されますが…
心のなかでは
『本当に甘やかさず
自分たちで買ったりするからいいのに。』
と思ってるんです。
今まで親に言われるがままに
甘えて生きてきた自覚があるので余計に。
ですが、
甥っ子にばかりオモチャを買ってあげてたり
可愛がり方が違うのを
目の当たりにすると
どうしても嫌な感情がでてきてしまうことに
疲れてしまって。
しかも、
弟夫婦に二人目ができて今年の4月に
(たぶん)女の子が産まれることになり
本当はわたしもできれば二人目が欲しいのに…
わたしも弟夫婦にみたいに
ローンも食費も光熱費も払わず同居してれば
二人目が産めるのに…
と、甘甘な考えばかり考えたくないのに
考えてしまい苦しくなってしまったので
思いきって
綺麗な🏠だけど
建築条件も悪いし、2LDKと少し手狭な🏠を
売ってしまい
もう少し離れた所で広い🏠に引っ越そう‼️
と考えたのです。

夫は基本
何でもわたしの意見には賛成だし、
今の🏠はわたしの実家に近いから安心で
住んでいるだけで
本当は広い🏠に住めるならそれがいい、と。

とりあえず夫以外には言わず
不動産にいまの🏠がいくらで売れるかなど
相談したところ、
何社に聞いても
建築条件さえ気にしない人が見つかれば
わたしたちが買った価格より
高く売れるとの事。
どうも、わたしたちは
建築条件が悪く売れ残っていた物件を
かなり破格で買えていたそうで💧

しかし、良い事ばかりではなく
いま🏠が綺麗なうちに売らないと
🏠に価値がなくなってからでは
土地を売るのはかなり難しいし
売れないと思う、と。
これも役所などで確認すると
本当に厳しいようで
買った時の不動産はそこまでは
教えてくれるわけないですよね💧

だんだんと、
実家がどうこう…
の問題ではなくなってきてしまい
何とか娘に負の財産だけは残さないように😫
と売りに出しているんです😥

今のところ数件、
内覧には来ていただけていて…
本当に何とか条件の合った方に
買っていただけますように(^^;