わたし、って。~摂食障害に助けられて

初めてブログを書いてみることにしました。わたしって、どんな人間なのか記録を残して今の幸せを改めて感じられればいいな、と思います。

まさかの摂食障害。②

自分がおかしいことに気づかないまま
何とか契約社員として働いていた
医療関係の職場で
夫と出会いました。

その職場の院長はとても理解があり、
わたしが生理など来ていなくて
たまに貧血で立っていられなくなる事を知り
わたしが職場で過食がしたくなって
嘘をついて
『体調が悪くなったので早退したい』
というと、『すぐに帰りなさい』
と心配してくれました。
罪悪感はあったのですが、
余計に自分を甘やかしてしまった気がします。

夫とはもう一人の同い年の同僚と
よく3人で飲みに行っていました。
とても話が合い、
よく夜中から朝方まで飲んで話したり…
半年ほどして、何となく付き合うか、と。

夫は大学を卒業してから一人暮らしだった為
ひどい食生活で
自分の食生活は棚にあげ
昼は職場の同僚にバレないように
お弁当を買ってきたり
夜は一人暮らしの部屋に行き
夕飯を作って
本人が帰ってくる前に帰ったりしてました。
いま考えると何してるんだろう??
って感じですが(笑)

2.3ヵ月付き合った頃
いつものように過食のせいで
付き合うのも苦になり
別れようと告げました。
ところが夫は夜中にメールをしたのに
すぐに自転車で30分以上かけて
家まで説得に来てくれました。
その時に初めて
摂食障害に苦しんでる事を打ち明けました。

まさかの摂食障害。①

前にも書きましたが
学生時代からあまり満腹感がなく
食べ過ぎたり
食べなさ過ぎたりしてました。
でも、
年頃の女の子はみんなそうであって
生理が来なくなっても
おかしい事とそれほど感じず
放っておいていました。

社会人になってからは
どんどんおかしくなり
どうしても過食したくなり
会社を休んだり、
早退したりするようになっていました。
この時はまだ過食し太れば
また1日サラダと豆腐、魚しか食べず
ダイエットして戻したりしていました。
一度会社の健康診断で
甲状腺ホルモンの数値が良くないので
再検査してきて下さい、
と言われた時は
結局、その数値はそこまで問題はなかったのですが
『普段なに食べてるの?
⚪⚪数値がおばあちゃんみたいになってるけど』
と言われました。
(⚪⚪は忘れました💧)
その時に精神科もさりげなく
進められたのですが
福祉の分野で
国家資格を持っている自分がまさか、と
思い無視していました。

その間に付き合った人もいたのですが
一緒にランチを食べても
夜一人になったら過食したくて
少ししか食べず、
用事ができたから帰る、と帰ってしまったりして
結局わたしが疲れてしまい
別れてしまいました。

この辺りから過食だけでなく
過食嘔吐が始まりました。
きっかけは、たまたまだったのですが
友達と飲みに行く前に過食をしてしまい
そのまま飲みに行ったところ
外で吐いてしまい、
友達には気づかれなかったので
先に帰る、と言ったのですが
駅のトイレでもずっと
胃に何もなくなるまで吐き続けました。
その時に感じた爽快感が
クセになってしまったのです。
過食してる時は満腹感は全く感じず
何も考えず一心不乱に食べ続け、
その後はトイレで吐くようになりました。

ただ実家に住んでいたので
母に気づかれないようにするのが大変でした。
でも、いつも祖父母の面倒などで
バタバタしていたので
結局全然気づかれませんでした。

今思い出すと、
過食嘔吐をし始めてからは
わたしの脳は本当に
正常に機能してなかったと思います。
何であんな行動したのだろう、と
思う事ばかりでした。

夫、って。

夫との出会いは
わたしが福祉関係の仕事がうまくいかず
全く違う分野で働いてみようと
とりあえず契約社員として
働かせていただいた職場での出会いでした。

わたしは背が高いのが幼い頃からの
コンプレックスだった為、
理想の男性は背が高い人、でした。

夫はわたしより2㎝ほど低くいので
普通なら全く気にならないはずなのに
なぜか知り合ってすぐに
結婚するかも、と感じました。
付き合ってからも
普段夢なんてめったに見ないのに
とても生々しい夢で、
わたしたちが歳をとり
子ども夫婦とその子どもと一緒に
仲良くレストランで食事している夢を見ました。
なぜかこの感覚が
その後何度も夫と別れようとしても
よみがえってしまい
今に至ります。

わたしは大学時代から少しずつ
食に関しておかしくなり始めていた為
すでに生理も来なくなったりしていました。
社会人になってからは
全く来なくなっていたので
病院に定期的に通って薬で来させていた為
妊娠も難しいだろうな、と思っていました。
別に後で書きますが
夫にも問題があったので
ますます妊娠は諦めていました。

それでもそんな夢を見て
本当に結婚し
奇跡的に子どももできているので
将来本当にわたしたちが歳をとり
娘が結婚し孫を連れてレストランに
皆で行けるように
辛いことがあっても頑張って生きていきたいな
と思っています。

子育ては体力勝負。。

よく言われる言葉ですが、
嫌というほど実感してます。

最近もうすぐ2歳になる娘は
朝の4時か4時半に起きます。
まだ真っ暗でとても寒いです😪
もともと寝るのも早く19時過ぎには
ウトウトと寝てしまっていたのですが、
最近は18時半には寝てしまうこともあり、
朝早く起きてしまうクセが。。
直そうと、
昼寝を遅めたりしたのですが
どうしても直りません。

子どもの昼寝で
一緒に寝れればいいのですが、
起きてると出来ない事を
しなくてはいけない時間でもあるので
なかなか寝れません😢

しかもワンちゃんも飼っているので
夜娘が寝た後は
昼かまってあげられないワンちゃんタイムで
夜夫が帰ってくる23時まで起きて
夕飯を出してからでないとなかなか寝れません。

睡眠不足は体力も無くなりますが
些細な事にもイライラしてしまったり
良いことないですよね。

いつも笑顔で子育てしてる方
本当に尊敬します。
わたしはたまに
外でも疲れた顔してしまいます💧
いつも笑顔の母親でいたいんですけどね😫

母、って。②

母はお見合いで21歳で結婚し
23歳でわたしを産んでくれました。

母のお母さん、
わたしの祖母はわたしの母同様
とても良いおばあちゃんでした。
ただ、とても頑固なところがあり、
子どもを結婚させる事に異常に執着していました。
母を含めた6人の子どもは
全員早くにお見合い結婚させていました。
今よりは
お見合い結婚も珍しくはなかったかもしれませんが
凄いな、と思っていました。
祖母はわたしにも小さい頃から
『目は大学に入ったら二重にして、
髪も染めて…』と
早く結婚しなさい、と言っていました。
笑って聞いていたのですが、
その考えは
わたしの母にしっかり受け継がれていました。

一緒に買い物に出掛けても
『結婚したらなかなか買えなくなるかもしれないんだから、買っておきなさい』
とよく言われました。
働き始め、年頃になると
彼氏ができるとすぐに家族の事を聞かれたり
彼氏がいない時はお見合いの話を持ってきたり。
結婚させようとする事以外は
福祉関係の仕事できつく、
仕事を変えても何も言わず
正社員ではなく契約社員で暫くいたときも
何も言われなかったので
全くうるさい、とも思いませんでした。

だけど、
無意識に徐々におかしくなっていたみたいです。

ちなみに、
お見合いで一度この人に決めてしまおうか
という方がいたのですが
3度目に新宿で会って夕食を食べに行った先に
驚く事に弟と今のお嫁さん(当時は彼女)も
来ていました!
もちろんわたしは
弟とあまり話をする事もないので偶然でした。
その時にまたまた驚く事に
隣の席しか空いていなく
皆で挨拶もしました。
しかし、その相手は挨拶後は
弟達は全く無視で、自分の家族の話しばかり…
この偶然の出会いで
お断りさせてもらうことにしました。
乗り気だった母も
『この偶然がなければ
相手の親に苦労させられるのに
結婚させてた。
亡くなったおばあちゃんが会わせてくれたんだ』
と今でも言います。

これはだいぶ後から
わたしが摂食障害を治すために
実家に戻った時に聞いたのですが
弟は
『本当にあんなのと結婚させる気なの⁉️
なんでそこまでして
結婚させなきゃいけないの⁉️』
と母に怒っていたそうです💧
弟はわたしには何も言いませんでしたが
気にしてくれてたんだな、と
とても嬉しかったです。

子どもには。。

子どもを叱った後は
どんな言葉よりも‘’抱きしめる‘’
スキンシップが一番大事だと
さっきTVで言っていました。

来月で2歳になる娘は
魔の2歳児、イヤイヤ期、
などと言われる通りの行動をし始めました😰
オムツを換えるのも
着替えさせるのも
夕飯の買い物をするのにも一苦労です。。
あ、毎朝のゴミ出しも『一緒に‼️泣』
と重いし寒いし連れて行けないので大泣きです。
夫はまだ犬と爆睡中🌀

最近朝も、
4時に起きてしまうクセがついてしまい
寝不足です。

すると、どうしても何かやらかすと
それが子どもの仕事、
とは分かっているのですが
怒ってしまいます。。
謝らせようとしても
『ごめんねは?』
『しない❗』
と言うので長々と怒ってしまってイライラしたり。
夜に子どもが寝たあとに
もう少し柔らかく怒れば良かったな、
イライラしすぎたな、
って後悔してしまうこともしばしば。

わたしが今回
ブログを書こうと思ったきっかけは
イライラしてもこういう日常が
どれだけ幸せなことなのか
改めて感じたかったのと、
わたしが母に感じた寂しさや虚しさなどを
この子に感じさせないように
気を付けたい、と思ったからでした。

今わたしにできる事は
考え過ぎず、
とりあえず子どもを
いっぱい抱きしめてあげる事みたいです❕

母、って。①

正直に、
母はこれ以上ないほど‘いい人’だと思います。
わたしが小学生くらいの時から
老人施設でボランティアもし、
父の祖父の事業も手伝い、祖父母、叔父達に
こき使われても我慢して
祖父母が去年亡くなるまで
ほぼ一人で面倒みてました。
父の兄達の奥さんは、
一人は家を出てしまって
(財産目当てに離婚はせず)
もう一人は
‘言うことを何でも聞いてもらわないとダメになる
100人に一人の病気’らしいです。
祖父母は旅行好きで
荷物持ちに母を連れて行き、
旅行先で『いいお嫁さんね』と言われると
出ていった嫁さんと、
訳のわからない病気を信じた嫁さんを誉めます。
その帰りには
『上の嫁さんたちに旅行が楽しかったって
言っちゃダメだよ。ひがむから。』と言うそうです。
毎年、欠かさずに行く新年の挨拶でも
叔父達の息子や娘の方がお年玉が多かったです。
なぜなら、医者や薬剤師になるからでした。
学費もうちだけ出して貰っていないそうです。
わたしは小さい頃から
母が悔しくて泣く姿を見ていました。
わたしはそんな母をかばい、
祖父母や叔父達の愚痴を言い
母に説教したりと、
とても良いとは言えない性格になりました。
いくら母に
『やめた方がいい』と言っても
『嫁がいるのに面倒みないなんてって
世間に思われる』
と言い、やめませんでした。

わたしの母は、
さすがに今はおばさんになりましたが
早くにわたしと弟を産み
明るくて若くて綺麗なお母さんでした。
学生の頃にいっしょに買い物に出ても必ず
『仲の良い姉妹で羨ましいわね』と言われました。
その後は必ず
『えー?こんな綺麗なお母さん羨ましい!』でした。
わたしは母に似ず
目は一重で顔も丸顔で
わたしの一番のコンプレックスである身長も
高いため、
昔から母とは違い‘可愛い’などとは言われた事が
ありませんでした。
祖母にも大きくなったら『二重に整形すれば良い』
と言われて育ちました。

おかげで、
昔から自分に好きな所は1つもありませんでした。

こういう事を書いていると
’わたしの不幸は全部人のせい’
みたいで、自分でも嫌に気持ちになりますが、
あくまでも自分の中で整理しているだけ
と思って書きたいと思います。