わたし、って。~摂食障害に助けられて

初めてブログを書いてみることにしました。わたしって、どんな人間なのか記録を残して今の幸せを改めて感じられればいいな、と思います。

母、って。①

正直に、
母はこれ以上ないほど‘いい人’だと思います。
わたしが小学生くらいの時から
老人施設でボランティアもし、
父の祖父の事業も手伝い、祖父母、叔父達に
こき使われても我慢して
祖父母が去年亡くなるまで
ほぼ一人で面倒みてました。
父の兄達の奥さんは、
一人は家を出てしまって
(財産目当てに離婚はせず)
もう一人は
‘言うことを何でも聞いてもらわないとダメになる
100人に一人の病気’らしいです。
祖父母は旅行好きで
荷物持ちに母を連れて行き、
旅行先で『いいお嫁さんね』と言われると
出ていった嫁さんと、
訳のわからない病気を信じた嫁さんを誉めます。
その帰りには
『上の嫁さんたちに旅行が楽しかったって
言っちゃダメだよ。ひがむから。』と言うそうです。
毎年、欠かさずに行く新年の挨拶でも
叔父達の息子や娘の方がお年玉が多かったです。
なぜなら、医者や薬剤師になるからでした。
学費もうちだけ出して貰っていないそうです。
わたしは小さい頃から
母が悔しくて泣く姿を見ていました。
わたしはそんな母をかばい、
祖父母や叔父達の愚痴を言い
母に説教したりと、
とても良いとは言えない性格になりました。
いくら母に
『やめた方がいい』と言っても
『嫁がいるのに面倒みないなんてって
世間に思われる』
と言い、やめませんでした。

わたしの母は、
さすがに今はおばさんになりましたが
早くにわたしと弟を産み
明るくて若くて綺麗なお母さんでした。
学生の頃にいっしょに買い物に出ても必ず
『仲の良い姉妹で羨ましいわね』と言われました。
その後は必ず
『えー?こんな綺麗なお母さん羨ましい!』でした。
わたしは母に似ず
目は一重で顔も丸顔で
わたしの一番のコンプレックスである身長も
高いため、
昔から母とは違い‘可愛い’などとは言われた事が
ありませんでした。
祖母にも大きくなったら『二重に整形すれば良い』
と言われて育ちました。

おかげで、
昔から自分に好きな所は1つもありませんでした。

こういう事を書いていると
’わたしの不幸は全部人のせい’
みたいで、自分でも嫌に気持ちになりますが、
あくまでも自分の中で整理しているだけ
と思って書きたいと思います。