わたし、って。~摂食障害に助けられて

初めてブログを書いてみることにしました。わたしって、どんな人間なのか記録を残して今の幸せを改めて感じられればいいな、と思います。

姉弟、って。

わたしには3歳年下の弟がいます。
わたしの記憶では、
弟が幼稚園くらいの時から
ひきつけを起こして痙攣し、
母が急いで病院に駆け込む、という事が
弟が小学校3.4年生になるまで年に数回ありました。
夜中に家に1人残された事もありました。
父は自営業で、帰りは夜中の2時とかだったので
仕方なかったのかもしれません。
母はこの時の話しは嫌うので、
わたしもあまり聞きませんでした。
ただ、一時は20歳まで何も起きなければ…
と深刻だったみたいです。

この病気のせいで、
父も母も弟にはものすごく甘くなりました。
症状が落ち着いてきてからは
やりたいと言ったスポーツはコロコロと変えて
何でもやらせて、といった感じに。
わたしは、記憶に無い時から
ピアノと器械体操をしていました。
どちらも好きではなかったのですが、
特に器械体操の方は本格的にやらされ
『止めたい』と何度もお願いしたのですが
『継続は力になるんだから』と
小学校4年生で中学受験で塾に通うまで
続けさせられました。
器械体操が嫌いというよりも、
この時に初めて‘いじめ’られ、
とてもつらかったんです。
母に、止めたい理由は話した記憶はありません。
子どもって本当に親には相談しないものなんですね。

この時点でわたしが納得いかない事が2つ。。

①弟がひきつけた時になぜ救急車を呼ばなかったのか

②なぜ姉弟にそこまで違う教育方針なのか

摂食障害を克服してから母に聞いてみました。
①→ご近所に病気の子と知られたくなかったから
②→お姉ちゃんで失敗したと思ったから

今は弟も結婚し私と同い年の子どもがいますが
母の口ぐせは『子ども第一に考えなさい』。
①については、
絶対に救急車を呼んだ方が安全だった時もあるのに…
②については、
そう話した時にも笑いながら言われるので
少しは申し訳なさそうにしてほしかったです。

なぜ、わたしがこういう話を長々とするのかというと
摂食障害は母との関係が深く関わっている可能性が
高い病気、ということを知って、
色々と自分で分析したからです。
といっても、わたしは虐待されたりしたわけではなく
逆に重すぎる程の愛情を受けて育ちました。
友達は本当に少なく
お出掛けはいつも母とでした。
なので、自分がものすごくワガママな気がして
落ち込む事もしばしば、なのですが
自分で色々と考え整理できていくうちに
どんどんと気持ちが楽になりました。
気づかないうちに
溜め込んでいた感情があったんですね。
とても恵まれて育った、としか思っていなくて
父も母も大好きだったので
整理していくうちに自分で驚きます。。

今でもわたしにはアレコレ…弟には甘く…。
給料が安くて大変だから、と同居させ
月5万だけ貰い、食費も光熱費も貰わず。
強いお嫁さんに自分で買った納豆代まで請求され
苦労させられ愚痴りながら生活しています💧
うちと給料そこまで変わりませんが??
ですが
今では母に言いたい事も言えるので
(言っても何も変わりませんが🌀)
昔ほど気にしなくなりました。
わたしも親だし、それどころじゃないですよね!💧